毎週新しい創作カレーを提供、そのストイックなこだわり ——創作カレーMANOS 遠藤僚さんインタビュー

週替りで創作カレーを提供する——これが三軒茶屋にある「MANOS」店主の遠藤僚さんのこだわりだ。毎週「新しいカレー」を顧客に届け続けるストイックな姿勢を貫いている。店の雰囲気は独特だ。カレー店なのに、クラシックなバーのような内装。2019年にオープンし、わずか2年でカレー激戦地の下北沢〜三軒茶屋エリアにありながら不動の人気店に育て上げた遠藤さんに、カレーとの出会いから、MANOSの立ち上げ、そして今後について伺いました。

店名「MANOS」の由来

「MANOS」という店名の意味の由来は何ですか?

「MANOS」の店名はスペイン語で「たくさんの手」という意味と、実はもう一つ、藤子不二雄Ⓐ先生によるマンガ作品「笑ゥせぇるすまん」に出てくる「BAR魔の巣」から来ています。その「BAR魔の巣」のような、ちょっと怪しい雰囲気の場所でカレーを食べるという空間を生み出したかったんです。

内装は、以前修行させてもらっていたカレー店「旧ヤム邸」下北沢店を手掛けた方にお願いしました。「いかにもカレー屋」ではない内装にして、それこそ「BAR魔の巣」のクラシックなバーのような内装をイメージしています。店内に置いてあるこのバッグは「旧ヤム邸」のオーナーが開店祝いにくれたバッグなのですが、いかにも「笑ウせぇるすまん」の主人公喪黒福造が持っていそうなバッグで気に入ってます。

店のロゴマークはオープン前に友達のアーティストと一緒に作りました。今、店内で販売しているMANOS2周年記念Tシャツのデザインは、ファッションに詳しいアルバイトスタッフにお願いしました。僕が以前インドを旅したときに撮った写真の中から「この自転車に乗っている少年の写真を使ってTシャツを作っては」と提案してくれて作りました。この文字はヒンディー語で、大きい方の文字は「創作カレーMANOS」、小さい方の文字は「カレー美味しい!」という意味になっています。

カレーとの衝撃的な出会い

お店を始めるに至った経緯を教えてください。

自分のルーツをたどると、学生時代に大阪の居酒屋でアルバイトしていた経験が飲食との出会いです。お客様から感謝してもらえたり、顔見知りになったりするのが嬉しくて、のめり込んでいきました。大手のチェーン店だったのですが、アルバイトなのに調理や、社員並みの店長業務まで任されて、それがめちゃくちゃ楽しかったですね。発注から在庫管理・売上管理・アルバイト面接にいたるまで、学生ながら関わることがとてもいい経験になりました。

そこで食に関わる仕事に携わろうと思い、大学卒業後に調味料の食品メーカーに就職しました。営業の仕事でノルマが高くて大変でしたが充実してましたね。

アルバイト時代の経験で人生が決まった形ですね。カレーの道を志したのは、どんなきっかけですか?

社会人3年目にもなるころ、高校時代の先輩が間借りしてバーを始めて、そこで食べた先輩自作のカレーに衝撃を受けたんです。

先輩とはよく一緒に食事に行っていたのですが、ある時先輩に連れて行ってもらったのが、大阪の四ツ橋にある、とあるカレー屋さん。そこは常に大行列で、入店すると店員さんに「初めてですか?」「初めてなら天国を見るか地獄を見るか…」て言われるんです。めちゃくちゃ辛いんですよ。店内ではお客さんが黙々とテーブルに向かっていて、スプーンのカチャカチャとした音と辛さに悶える「ヒーッ」という音だけが響いていました。

そのカレー屋では最初は辛すぎて食べれなかったんですが、無性にまた行きたくなって。毎週のように通い始めるようになりました。中毒ですね。カレーってすごいな。と感動しました。

そこで、先輩と「いつかカレー屋を始めたいね」といった話をするようになったんです。それから2〜3年ほどで2人ともそれぞれの会社を辞め、独立に向け動き始めました。

大阪でカレー店の立ち上げと、別れ

店を始める前に自分たちのオリジナルのカレーを作るために1ヶ月インドを旅しました。ムンバイやチェンナイ、北インドなど巡っていろいろなカレーを食べました。一番美味しかった北インドの市場の中にあるレストランに頼み込んで1週間仕込みや店内の雰囲気を動画で撮らせてもらいました。

言葉も通じなかったので、iPhoneの翻訳アプリで「日本でカレー屋をやりたいから、作っている様子を動画で撮らせてくれ」って伝えたら、「全然いいよ」と言ってくれて。毎朝仕込みからずっとつきっきりで撮影しました。

レストランのシェフに「朝6時半に仕込み始まるから来い」言われたので定刻に行ったら、誰も来ず、30分後に現れたのには笑いました。インドらしいっていうか・・・でもいろいろな作業が新鮮で、動画撮りながら、本場のインドカレーの作り方を学びました。

帰国してから、インドで学んだこと、それに先輩がオリジナルで作っていたレシピを融合して、2014年に大阪でカレー屋をオープンしました。そのお店はちゃんとうまくいっていたんですが、1年ほどで先輩と僕との間で店の方向性の違いで溝が生まれるようになりました。このまま続けていても、お互いのためにも店のためにも良くないと思い、2人でゼロから作った店だったので本当に心苦しかったですが、僕はその店を離れることに決めました。

大阪の人気店旧ヤム邸へ

かなりきつい経験だったと思いますが、どのように切り替え、乗り越えましたか?

独立して自分の店を持つことを目標にしました。ただ、当時はまだ自分のレシピも持っていなかったので「修行しなければ」ということで、大阪のスパイスカレー店「旧ヤム邸」に入ることにしました。

当時「旧ヤム邸」はすでに大阪の人気店でした。カレー屋なのに、お店でジャズバンドのライブやったりもする。そういう、色々なことにも果敢に挑戦するオーナーの姿勢にも憧れていました。

「旧ヤム邸」は勢いがあり、従業員も多い店でした。もちろん最初からカレー作りを任せられるわけではなく、入店から半年くらいはホールやキッチン補助をしていました。次第にスタッフやオーナーから認められ、カレー作りも任せられるようになり、やがて日替わりメニューの担当もするようになりました。

日替わりメニューの担当は、大変でした。「旧ヤム邸」の日替わりは「同じメニューを出さない」というルールがあり、来る日も来る日も新メニューを開発していました。初めてのことだったので正直きつかったですが、「自分で店をやるぞ」っていう気持ちがあったからこそ、その生活も続けることができました。たまの休みの日も、リサーチで他の店のカレーを食べに行ったり、カレー以外の店にも足を運んだり。遊びに行くことはほとんどない日々でした。

東京へ異動、そしてMANOSのオープン

まさに修行時代だったのですね。

はい。それで約2年後、「旧ヤム邸」が東京進出することになって、自分も東京に異動することになりました。東京に住むのは初めてだったのですが、住んでみたら、友人の紹介で仕事とは関係のない知り合いがどんどん増えていきました。東京は「何かやってやる」っていう野心を持っている人が多いと感じました。アーティストだったりミュージシャンだったり。そういうクリエイティブなつながりができて、後々そういう人たちともカレーを通じて一緒に仕事ができたらいいなと思うようになりました。

このつながりは、今の「MANOS」の店作りに結びつきました。カレーを「食」だけでなく「カルチャー」として捉えて微力ながら発信していきたいという思いを持つようにもなりました。

東京に越してから約1年後、もともと36歳には自分の店を持とうと目標を持っていたので、そのタイミングで「旧ヤム邸」を辞め、「MANOS」を立ち上げることになりました。

常に新しいカレーを提供する週替りメニューへの思い

週替りでメニュー変わるんですよね。レシピアイデアはどうやって手に入れるんですか?

レシピのアイデアは、カレーももちろんそうですが、カレーとは関係ない料理を実際に食べに行ったり、国内外のレシピ本を色々取り寄せて参考にしながら作っています。

「MANOS」を始めてからだけでも、100種類以上のカレーを作りました。週に1本以上必ず新メニューを出しています。自分で始めたことなんですが、レシピを毎週作るのは、僕が子供の頃に読んでいた『週刊少年ジャンプ』の締切に追いかけられる連載作家みたいな気持ちになることがあります(笑)

でも、メニューが変わるからこそ毎週来てくれるお客様もいるので、ずっと続けたいですね。

コロナ禍で変則的な営業を余儀なくされてきましたが、この1年どう過ごしましたか?

2019年8月にオープンして1年経ってない状況で緊急事態宣言が始まり、不安もありました。それでも休業は考えず、感染対策は万全に行い、店を開け続けました。

店頭でカレー弁当の販売も行ったりと、やれるだけのことはやったと思います。ありがたいことに、お客様は来店し続けてくれて、本当に感謝しております。

今後、お店をどうしていきたいですか?

今の店だけにとどまらず、店舗展開をしていきたいとは思っていますが、また別の方法でももっといろいろな人に自分のカレーを知ってもらえるきっかけが増えたらいいなと思っています。そこで通販を始めることにしたんです。

自分とその周りにある文化がMANOSを通して発信できて、広がっていけるなら、こんなに嬉しいことはありません。

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