「カレーにも街の色がある」 ——「酒とカレー 百人町スプーン」八角純さんインタビュー

多国籍な街、百人町。文化が違う様々な店が所狭しと立ち並ぶ。その路地に突然そびえる要塞のような雑居ビルの一角にあるお店。それが「酒とカレー 百人町スプーン」だ。扉を開けるには少し勇気がいる。しかし入ってみると柔らかいイエローを基調としたほっこりとした空間が広がる。店主の八角さんは、ヒップホップアーティスト「コモン」のその日リリースされたばかりの新譜を流しながら迎え入れてくれた。

レコード会社のディレクターから飲食業界へ

飲食とは違う業界にいたと聞きました。どういう経緯でお店を始めたのですか?

以前は音楽業界にいました。レコード会社に約5年半勤め、新人発掘のディレクターをやっていました。仕事は主にネット系アーティストの発掘です。ボーカロイドや「歌ってみた」といった分野から、才能を探し求めていました。自分が発掘したアーティストがオリコントップ10入りしたり。一方で「次の自分の人生どうしようかな」と思っていたんです。

百人町カレー 八角

当時、ゴールデン街の知り合いのお店に間借りさせてもらって、時々カレーを出していたんです。それが結構楽しくて。独立するならお酒とカレーの店をやろうと思っていました。

結果、2020年1月に「百人町スプーン」をオープンしました。この黄色い壁の内装は"居抜き"です。前の店の内装を、工事もせずそのまま使っています。

自分で店を開けて、その日いらっしゃったお客さんのために、自分で作ったものを提供する——この仕事は、お客さんの顔が見えづらいレコード会社のディレクターとは真逆です。直接顔を見知ったお客さんに食べてもらう喜び、嬉しさ。そして、お酒を飲みながらたわいない話をする、っていうのが好きですね。

ちなみに、音楽業界の前はどういう仕事を?

結構、波乱万丈だと思います。元々レコード会社に就職したくて、学生時代大手レコード会社のインターン選考に受かって、1カ月間東京で社宅住まいでインターンをやって、そのまま新卒採用の選考も進み、最終面接まで行きました。でも最終面接で、服装自由ということだったので、大好きなヒップホッププロデューサー「マッドリブ」のTシャツを着て面接に挑んだら、まわりは全員スーツで。落とされちゃいました。

どうしてもレコード会社に入りたいという思いもあり、その他の就職活動に真面目に取り組んでいなかったため、大学の卒業式当日になっても就職先が決まっていませんでした。

でも、なんとかハローワークで仕事を見つけて、英語ができたので金沢の中古着物販売会社の海外企画営業部で拾ってもらいました。着物の仕事をがんばっていた矢先に、学生時代インターンしていたレコード会社の人が「第二新卒の選考を受けてみないか」と連絡してきてくれました。

そうしたら順調に選考が進み、晴れて内定をもらったんです。嬉しくて、上京準備もして、所属していた会社に退職届も出しました。でも3日後、電話がかかってきて「やっぱりなしで!」と内定を取り消されたんです。本当かどうか知らないですが、そのレコード会社は「一度新卒の選考で落ちた人は以後2年間は入社できないガイドラインみたいなのがある」とか言われました。

全く理解できないですよね、だったら呼ぶなよ、内定出すなよって。3日間泣きましたよ。そのあと、腹が立ちすぎておかしくなって、母と母の友人と妹とハワイ旅行に行きましたけどね。

100スプーン 百スプ

帰国後、無職で貧乏で保険証もないような有様だったので、ハローワークを通じて職業訓練に行って、ウェブデザイン勉強したり、金沢のクラブでバイトしたり、焼き鳥屋で働いたり、トルコ人の店でケバブを売ったりしました。

しかしそんな生活をしていても埒が開かないと判断し、働いていた焼き鳥屋を辞め、ライブハウスの社員になる話も辞退して再び転職活動に取り組み、小さな会社ですがついに念願のレコード業界に就職することができました。

でも、基本給14万7千円。金沢より給料安いっていう。しかも残業しまくりの日々を5年半過ごしました。

 

酒とカレー百人町スプーンのこだわり

カレーのどんなところが好きですか?

カレーにはいろいろな側面があります。インド、スリランカ、バングラデシュ、タイ、ネパール、ミャンマー。そしてジャパニーズ。色んなルーツがあって、それをお店ごとに好きな切り口で解釈して作っている。それが面白くて大好きです。

「百人町スプーン」の場合は、色々なカレーに関する本や雑誌を斜め読みしながら、そこで得た自分の好みの方法をコラージュして完成させました。だから、うちのカレーはインドとかスリランカなどジャンル分けにはうまく当てはまりません。

カレー作りに、それまでのご経験は生きていますか?

ずっとラップをやっているのですが、ヒップホップとカレーは似ていると思います。ヒップホップってサンプリングミュージックじゃないですか。人の曲の"いいところ"を拝借・サンプリングして、新しい曲にするやり方がとても面白くて、カレーにも応用させています。新宿には新宿のカルチャーがあり、渋谷には渋谷のカルチャーがあるのと同じように、カレーにも街の色があるんですよね。そういう街とは切っても切り離せない感じもヒップホップとカレーの共通項じゃないかなと感じています。

新宿や、大久保の街が好きでここで店を始めたのですが、「百人町スプーン」のカレーが大久保らしさを体現できていると言ってもらえると、嬉しいですね。

お店がある大久保や百人町は、本当にいろいろな国のカルチャーが入り混じっていて独自のグルーヴ感を感じられるところが好きです。

カレーとの出会いとゴールデン街について

カレーとの出会いは、いつごろですか?

カレーを意識して好きになったのは、金沢に住んでいた学生時代です。大学入学のために地元の兵庫県から出て金沢に住み始めたのですが、金沢に着いたその日に食べた、チャンピオンカレー、通称チャンカレが忘れられません。

銀皿に敷き詰められたライスの上にこってりしたカレールゥ、更にその上にカツが乗っていて、皿の端にはキャベツの千切り、そしてスプーンではなくフォークで食べるというスタイルに完全に圧倒されてしまいました。

その後色々なカレー店を回りましたが、「JO-HOUSE(ジョーハウス)」という喫茶店のカレーが心のベストテン第一位で、学生時代はフライドエッグというカレーを何度も何度も食べさせてもらいました。

カレーの店を出す前に、ゴールデン街のお店でカレーを出していたそうですが、どんな経緯だったのですか?

東京に出てきたものの、仕事はブラックで、家と職場の行き来だけ。本当に友達も居なくてどうしようと思っていた時に、ふとゴールデン街にたどり着いたんです。金沢時代に通っていたカレーがおいしい喫茶店「JO-HOUSE(ジョーハウス)」のマスターから「ゴールデン街行きなよ、君には合うと思うよ」って言われたのを思い出して。

それで一人でゴールデン街まで来たんです。が、最初は怖くてどこも入れなかった。2時間まわりをふらついてどこにも入ることができず帰りました。でも2回目勇気を出して、「HIP」というバーに飛び込みました。

音楽好きのマスターがやっているバーなんですが、ふらっと入ったら快く迎えてくれて。そこで本当に色々な出会いが生まれました。僕の人生の東京編はこの「HIP」から広がって行ったって言ってもいいくらいです。

その後「HIP」に5年ほど通っていたある日、マスターがすぐそばに2店舗目を出すことになり、そこで昼間カレーをやってみないかと誘ってくれたのが、自分の間借りのスタートですね。

「HIP」での出会いで他に大きなものは、イギリス出身のDiscourceというトラックメーカーとの出会いですね。僕がラップをして一緒にアルバムをつくったりもしました。

酒とカレー百人町スプーン 八角

コロナを越えて、百人町スプーンのこれから

コロナ禍でお店はどうでしたか?

開店して数ヶ月でコロナが始まったので、出鼻をくじかれた感があってしんどい面もありました。ゴールデン街時代のからのお客さんも誘ってみても「行けたら行く」が多くなってきて。そんな中でも、こちらで新規のお客さんが増えてきたので、なんとかやってこれています。

カレーももちろん味わってほしいですが、やはりここに来てカレーとお酒を楽しみながらお客さん同士が話して仲良くなってもらえるのが嬉しいですね。ビルの外観は結構怪しいですが、勇気を出して戸を開けていただければ、黄色い可愛い空間です。人の家の部屋みたいな感じで、めちゃくちゃ接しやすい空間ですよ。ギャップがすごいです。


お店を今後どうしていきたいですか?

今は、この大久保の「百人町スプーン」だけでなく、下落合でバーも経営しています。コロナが収まれば、立ち飲み屋を作ってみたいと思っています。大衆的なんだけど、小綺麗な店にしたいです。女性も気軽に寄れるような立ち飲み屋をやって、コミュニティを作っていきたいですね。

他にもいろいろな店を広げていって、10年以内に5店舗くらいやって成功させたいです。そしたら海外に行きたい。ハワイ移住が目標です。そして、ハワイでカレー屋さんをやったりパイナップル工場で働いたりして過ごしたいですね。

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