旅を続け、新しいカレーを作り出す ——「シバカリーワラ」 山登伸介さん インタビュー
カレー激戦区の茶沢通りエリアにおいて、カレー好きから根強い支持を維持し続けるシバカリーワラ。一歩店に入るとインドの居心地の良いアットホームなレストランに来たような錯覚にさせてくれる。インドへの旅を愛し、その経験を元に味とお店の世界観を常にアップデートをすることにこだわりをもつ店主の山登さんに、カレーとの出会いとシバカリーワラのこれからについて語ってもらいました。
カレーの世界に入る前は、どんなお仕事をしていたのですか?

元々はファッションの業界にいました。学生時代はファッションと音楽が好きな普通の学生でした。大阪出身なのですが、2000年前後は大阪のクラブ文化が栄えていた時代で、街がとても楽しかったんです。

始めUKのロックやパンクが好きで、ロンドンナイトとかに通っていました。ロンドンナイトの主催の大貫憲章さんに、クラブで勇気を出してMixテープを渡したりしていましたよ(笑)。ラジオやクラブの影響で、よりコアなポスト・パンクとかザラついた音に興味を持つようになって、AKAIのサンプラーを購入して宅録をしてできたCDを知り合いのレコード屋さんに置いてもらったりもしました。

実は、この頃はまだカレーへの興味はなかったんです。海外にも興味はなかった。でも、今振り返ってみると、色々な人に出会って話をして、いろいろな音楽を聴いて、その影響をもとに音を組み合わせて曲やDJ Mix作ることは、スパイスを調合してカレーを作ることに似ているなって思います。

音楽を作ることと、カレーを作るときの集中力や、没頭の仕方に共通点を感じます。

どんな形でカレーと出会ったのですか?

専門学校卒業後、セレクトショップで働いていました。最初は大阪でBEAMSに、その後ベイクルーズに入って上京しました。やはりファッションの業界なので、周りではアメリカやヨーロッパが流行っていたのですが、自分自身は「なんか違うな」という漠然とした気持ちがありました。そんな中、バックパッカーとしてアジアを旅している人がたまたま同僚にいて。影響を受けて、はじめて一人で東南アジアをバックパックを背負って旅することになったんです。単に「日本では感じられない刺激があればな」って程度の気持ちで行ってみたら、新しいことばかりで。すごく面白くて。

当時はインターネットもあまりない時代だったのですが、ガイドブックの情報と、ゲストハウスで知り合った人から聞いた情報を頼りに次の目的地を決めて行くっていう、ロールプレイングゲームみたいな感じが楽しかったです。それまで海外に興味がなかったのに、アジアのバックパック旅行が病みつきになりました。半年に1回、10日程度の長期休暇を取ってアジアを旅するようになりました。

訪れる土地ごとにいろいろな味を食べていくうちに、日本に帰ってからも同じ味を食べたくなったんです。「だったら自分で作ればいい」と思い、現地のスパイスを買って帰って、料理にのめり込みました。書いてある文字も読めないし、変わった香りもするけど、そこが面白くて。使い方が分からなくても構わず、いろいろな食材を買って帰ってきましたよ。

それでカレーの道に入っていったのですね。

当時の仕事は楽しかったです。でもサラリーマンなので、長期休暇を取って好きな旅に出るのが思い通りにならない点が唯一の不満でした。旅の途中で、何ヶ月も休みをとって長期旅行中の人に出会うと、本当に羨ましかったんです。

それで、自分で自分の生活をコントロールするには自分で事業をするしかないと思いました。20代後半だし、失敗したらまたやり直せると思って、一番興味のあったインドカレーで思い切って起業をしました。

軽のバンを改造して、キッチンカーのカレーからはじめました。たまたま通っていた下北沢のバーで、タイラーメンの移動販売をしている方に会って、このスタイルなら初期投資も安くスタートできると思い、自分も始めたのです。キッチンで仕込んだカレーを、ランチタイムのオフィス街に売りに行くスタイルでした。当時はまだキッチンカーもあまりライバルがいなかった時代だったので、結構繁盛しました。

でも、2年ちょっと続けていた時に、ふと自分の作るカレーの味に自信があるかというと「確信が持てないな」と思い、不安になりました。修行をしたわけでもなく、全部自己流だったので。やはりちゃんとインドカレーを勉強したいと思い、キッチンカーの事業をいったんやめ、銀座の本格インド料理店グルガオンで働き始めました。

修行してみて、いかがでしたか?

「インドレストランはゆるい感じなのかな?」という勝手なイメージを持っていたのですが、全く逆で。めちゃくちゃ繁盛している店で、超忙しく、しかも日本人のスタッフには調理はさせないルールもあって、結構衝撃を受けました。そんな中、キッチンのインド人シェフの動きを観察しながらカレーの仕込みを学びました。同時にメイン業務だったホールの仕事をこなすことで、お店の経営に関しても学ぶことができたのはとても良かったです。

約1年半グルガオンで修行したあと、今度は自分の店を持とうという目標を持って。再度独立し移動販売をやりながら、自分の味を固めつつ、お店探しをやっていこうということで、移動販売を再開しました。この時に「Shiva Curry Wara(シバカリーワラ)」という名前を使い始めました。

その頃はすぐに店を出そうと思っていたのですが、いい物件がなかなか見つからず、3年かかって物件を見つけました。「そろそろ店を始めなければ」とちょっと焦っていた時に、たまたまテナント募集の看板が出ていたので、すぐに電話しました。2階で、階段も急だし、ちょっと不安だったけど、夢の店をカタチにしたいという気持ちに後押しされて決断し契約を決めました。それが今の店です。

それが「行列が出来る人気カレー店」になったんですね。

ありがたいことに行列もできるお店になりましたが、ここまで人気になれたのは、周りがもり立ててくれたらからだと思っています。

お店のオープンのときから、インド人のシェフと一緒に店をやってきたということが、「シバカリーワラ」の味を確立できた理由かなと思います。日本人のオーナーが、インド人のシェフに料理はおまかせという店はよくありますが、うちの店は、僕が料理に興味があって、カレー作りに常に関わってきてるところが特徴ですね。インド仕込みのテクニックと、僕のアイデアをかけ合わせて、メニューをつくっているので自分たちならではの味を作れたのだと思います。

そして、常に新しいインド料理や、他のジャンルの料理を自分にインプットする時間を作ることも大事にしています。これは独立後ずっとやっていることで、趣味でもあるのですが、毎年1カ月近くの休みをとってインドを回っています。行くたびに現地の料理教室や、現地の有名レストランに入らせてもらって研修させてもらっています。

そうやって、常に新しいインプットをしていくことで、自分のアウトプットをアップデートすることは意識していますね。特に最近のインド料理は、日本人が持つインドの固定観念とはかけ離れた新しいスタイリッシュなものも生まれています。インドは広くて奥も深いので、理解しきれないのがやはり面白いですね。

インドの旅はどんなところが楽しいですか?

特に、現地の市場に行くのが好きです。なんとも言えない懐かしさと、新しい刺激がないまぜになって、あちこちから色々な感覚を突かれる感じになるんです。インスタグラムにも上げていますが、市場ではたくさん写真を撮っています。とくに、市場のおじさんを撮るのが好きです。おじさんは皆、結構おちゃめなんです。最初カメラを向けると「俺を撮るのか」みたいに不満そうな顔をするんですが、「いいじゃん」的なトークをやり取りしていると、打ち解けてくれてポーズやドヤ顔をしてくれるんです。

山登さんがインドの旅で撮影した写真。シバカリーワラのinstagramでもご覧いただけます。

新型コロナ禍で、お店にどんな変化がありましたか?

営業自粛を余儀なくされましたが、お酒がメインの店ではないので、幸いにも大幅な売上減になることはなくやってこれています。お客様は普段とは違う不安な毎日を過ごされていると思うので、カレーを食べて安心な気分になってもらえるよう、馴染みのある味を意識したメニューを必ず入れるようにしていますね。

一時期、新型コロナを期に冷凍カレーにチャレンジした時期もありましたが、幸い店の方も忙しかったので続けられませんでした。今回、改めて冷凍カレーを販売するのですが、遠方にお住まいの方でなかなかお店まで来られない方にも、是非注文していただいて食べてもらえたら嬉しいです。

スペーススパイスさんとレトルトなどもつくっていますが、いろいろな形で「シバカリーワラ」の味を届けることができればなって思っています。

「お店を拡大しないんですか?」と聞かれることもあるのですが、やっぱり僕は旅が好きで、ゆっくりする時間がほしいので、2店舗目を作るとかは、あまり考えていないですね。今の三軒茶屋の店を起点に、通販などを使った新しいやり方で「シバカリーワラ」の世界を広げていければなと思っています。

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